玉堂が生涯かかげたテーマは、人と自然の共存する世界といえるでしょう。山があり川があり、草木が生い茂り、鳥が飛び、馬や鳥がいて、人がいる。
心が安らぐ、生きとし生けるものが共存する世界です。
失われつつある自然と人々の営み……、自然と調和した人々の生活……、素朴で平和な暮らしぶり……。そのようなものへの郷愁と愛惜の思いが、玉堂芸術
の根底にあります。
「自然とひとつに、それが玉堂さんの宗教といえば宗教、思想といえば思想、生きるすべての原則だった」と、親交の深かった小説家・吉川英治も語っていま
す。
宗派を訊ねられて、玉堂自身も「大自然宗です」と答えていたそうです。
生涯変わることなく、自然の中に生き、自然のいとなみを愛し、詩情を込めて日本の四季を描きつづけた玉堂。その透明感のある、余韻に満ちた作品の数々
は、日本人の琴線に訴えかける魅力にあふれています。
「自然を見て、見て、さんざん見るんです。こうしていて目をつぶると、あらゆる自然がはっきり浮かんできます。そうでなくっちゃ描けません。自然が、私
に表現の方法まで教えてくれるのです」と、玉堂は語っています。
「洋画は自然をそのまま絵にしますが、日本画はそれを作って絵にするのです。だから日本画はひとつの場所を絵にするよりも、違った多くのよい場所を集め
て、それをつぎあわせて、ひとつのまとまったよい絵にこしらえる場合が多い。日本画は思うままに自然を組み立て、改廃することによって、特別の味を出す
のです」
玉堂の描いた風景は、玉堂の意識の中で組み立てられた、かつてどこでも見られた懐かしき日本の景色なのです。
個人的には、力量発揮の代表作といわれるものよりも、筆の勢いで描いたような、ささっと一気に描いた作品が好きです。本画を描いていて、筆休みで、や
すやすと描いたようなものがいいのです。
生涯500点もの「鵜飼」を描き、「鵜飼といえば玉堂、玉堂といえば鵜飼」とも言われていますが、私は鵜だけ書いてある、売れない「鵜飼」が好きです
ね。

自由闊達な、突き抜けたような作品がいいのです。筆に勢いがあって、うまいなぁ、と思います。
にっぽんの美を探し求めて
玉堂は、あたかも日記を記すように、毎日、写生を欠かさなかったといいます。外で飲んでどんなに夜遅く帰宅しても、必ず墨はすったそうです。
最後は寝たきりになっても絵筆をとり、顔に絵の具がしたたり落ちても描きつづけました。
「右手だけは、最後まで動いていました」と、お孫さんの三男先生も仰っていました。
根っからの絵描きだったのです。素晴らしいですね。
今では、そういう人がいなくなったように思います。
近代日本画の巨匠・鏑木清方は、玉堂が亡くなったとき、「日本の山河がなくなったような気がする。日本の風景がなくなったような気がする」と語ってい
ます。
決して失いたくないもの……。
四季折々に豊かな風情を見せる自然の情景……、受け継がれてきたにっぽんの美……。
まだ、間に合う、という気がします。